ルノルマンのサロンがあったアパルトマン

 マドモアゼル ルノルマンのサロンのあった場所を見つけることは、意外と簡単です。

 サンジェルマン地区のトルノン通りというセーヌ川からセーヌ通をまっすぐルクサンブル公園に向かって歩いてくると、左側にあります。

道を挟んだ向かい側に、花屋さんがあるので、それを目印にすると、わかりやすいと思います。

 地下鉄では、オデオンが一番近くにあり、さすが、以前は出版関係の場所だった面影を残し、駅からトルノン通りに向かう道には「エディター(編集者)」などという名のカフェがあったりします。

 この地区は、フランス革命の時にも、流血騒ぎが無かったせいか、なんとなく空間に漂う怖さがないのが特徴かもしれません。

花屋さんの向かいのこんなアパルトマンを探してみてください。

建物の番号は、昔は9番だったそうで、今は5番となっています。

(写真は隣の7番の入り口)

 

 

フランスでは、かつての有名人が住んでいたところには、プレートに名前と年号が書かれて壁に貼り付けるようです。

2階の窓と窓の間に2つプレートが貼られているのが見えるでしょうか?

右のプレートは、政治家で1800年代に生きた人がここに住んでいたということを示し、左のプレートには、詩人がこのアパルトマンで一生を終えたということが書かれています。

このプレートとプレートの間に、マドモアゼル ルノルマンのサロンがあったということが書かれたプレートがかけられていてもおかしくないのでは?と、思う人もいるでしょう。

時の皇帝や妃を占った有名なマドモアゼル ルノルマンの名前がここにないのには、理由があります。

 それは、政府は彼女を「魔女」として扱っていたからだということ。

それでも、このアパルトマンの元を訪れるルノルマンファンは、後を絶たないとのことで、1階の化粧品店の店主は、ルノルマンカードのグランジューを持っていて、ここで写真を撮影する人がいると、出てきては、カードを差し出して、撮影に協力しているのです。

いつか、この壁に、マリーアン アデレード ルノルマン フォーチュンテラーというプレートが掲げられる日がくると、良いですね。

 

 マドモアゼル ルノルマンのサロンがあったトルノン通りは、ポンヌフの橋や、ノートルダム寺院、または、ダヴィンチコードで有名になったサン シュルピス寺院にも近く、歩いてすぐの所にあります。

フランス革命時代のパリを再現したSONY PS4のゲーム「アサシンズ クリード ユニティ」には、マドモアゼル ルノルマンが暗殺者に助言をする役で登場しますが、舞台となるノートルダム寺院の中や外から飛び出て主人公の暗殺者が走り回り、わからなくなると、「ルノルマンに聞く」というモードになり、マドモアゼル ルノルマンのサロンを訪れるわけですが、実際に、ノートルダム寺院からマドモアゼルのサロンまで歩いてみると、ルノルマンは、パリのメインともいえる場所に、よくサロンを構えられたものだなと感心するでしょう。

 

 生まれ故郷のAlenconとサンジェルマンを比べると、その大きさ、華やかさの違いに、唖然とします。

大きな都に出て来て、メインの場所にサロンを構えて、皇帝や妃、革命家や作家、女優たちのリーディングをしながら、女手一つで成功していったルノルマンの度胸と、才能に、やはり、目を見張る思いがします。

 

 ポンヌフの橋の上では、怪しげな占い師らしい衣裳を着て、ターバンに羽を付けたいでたちで、占いをしていたと言われており、セーヌ川の土手に魔法陣を描いて儀式を行った罪で、早い時期に投獄されることもあったといいます。

 きっと、ルノルマンにとって、セーヌ川岸地区と、サンジェルマンからルクサンブル公園(宮殿)地区では、異なるキャラクターで行動する場所になっていたのではないかと思います。

二重人格ともいわれるふたご座の性格として、そういったことも簡単にやってのけたのではないでしょうか。