36枚のグランタブローとマドモアゼル ルノルマン

 一番古いルノルマンカードと思しき、「希望のゲーム」は、ドイツのヘヒテルという人物に印刷されたものだということがわかっています。

ルノルマンが存命していた時から2年の歳月が流れて出版されているために、ルノルマンが作ったカードではないとされていますが、一介の印刷業の男性のアイディアで、このようなカードができるわけがないと思うのが、ルノルマンカードのリーディングを行ってきた人達の感想ではないかと思います。

 

 このドイツ人男性の背景に何があるのかを知らなければ、マドモアゼル ルノルマンがこのカード作成に関与したかどうかは、わからないはずなのですが、そこを調べてもなかなかわからないのが、カードに描かれている動物や建物、その他のシンボリックな物ではないかと思われます。

 

 そして、さまざまなことを調べていくうちに、ここに描かれている絵を暗号のように使いこなして、ゲームを行っているような素振りで、敵の前でも簡単に伝言することができたのではないかという、フランス革命後の世界を生き抜いてきた人たちの知恵に行きあたる思いがあります。

 

 復刻版となって甦ってきた「希望のゲーム」には赤い帽子をかぶった子供が描かれていますが、この赤い帽子は、フランス革命の時、ある種の人たちが被っていた帽子ですから、この帽子をかぶっている子供は、実は子供ではなくこの「ある種の人たち」を表しているのは明白です。

 

 また、ルコック(鶏)で表されるフランスやオランダが、狐で表されるイギリスに背後がら狙われている図が、「狐」のカードになっていたり、ハプスブルグ家の郵便を届けていたタクシス家を表した切手とそっくりな図柄が「馬・騎手」であったりと、符号する絵柄が、どんどん見つかると、やはり、これは、物を言わずとも伝えることができる絵による暗号なのではないかと思わざるを得ないのです。

 

 フランスではなく、ドイツの印刷屋にこのカードの印刷を頼んだのは、いったい誰なのでしょう?

そして、この絵とピケを結び付けるという至難の業を簡単にやり遂げたのは誰なのでしょう?

なぜ、ルノルマンの監修があったと思わないのでしょう?

なぜ、最初からルノルマンは、カードと関係なかったと言い切ってしまえるのでしょう?

 

疑問が募ります。

 

 何を知ろうとしても、ルノルマンが残した文献は、本として出版されたもの以外は、銀行のマネージャーとなった妹の息子、つまり、ルノルマンの全財産を受け継いだ甥が、なぜかすべて焼き払ってしまっていて、マドモアゼルの死後、知る手立てがなくなってしまっています。

 

 そこには、ルノルマンカードの前身となる企画案のようなものがあったとは考えられないでしょうか?

絵柄が書かれていなくても、「ホメオパシーのレパートライゼーション」のインタヴュー方法に酷似したコミュニケーションを、クライエントととっていたマドモアゼル ルノルマン独自のメモはなかったでしょうか?

 

 甥が焼いてしまったという書類に、今、喉から手が出そうなほど、大切なメモ書きがなされていたのではないでしょうか?

 

そう、思うと、「焚書」に対して胸が熱くなり、取り返せない時間に対しての憤慨でいっぱいになります。

 

しかし、怒っていても仕方がありません。マドモアゼル ルノルマンの名誉を挽回するために、彼女がどんなにすばらしい女性だったかを現代に甦らせるために、5次元スポークスマンとして働くほうがずっと潔いのです。

 

 彼女を取り巻く、錚々たる面々の中でも、その美しさで名をはせたレカミエ夫人は、マドモアゼル ルノルマンの取り巻きの一人でもあり、彼女のリーディングは、対面ではなく、隣に座って一緒に読み解くような方法をとっていたところから、「ルノルマン流の読み解き方」を見よう見様見真似で分かり始めていたのかもしれません。

 そして、その見様見真似の方法を、養女として迎えたアメリに教え、そのアメリが嫁いだ相手ルノルマン氏(Lenormandとはスペルが異なるLenormant氏)が、同じ発音のため、同姓と誤解してしまう点を応用して、ドイツに発注したと考えることができるかもしれないのです。

 

 私のように、ルノルマンに取りつかれたフランスのジャーナリストの突飛な憶測として、この説はとりあげられているのですが、実際にルノルマンピケでのリーディングをしているとき、勘のよいクライエントは、「これはこういう意味じゃないの?」とリーディングに介入してくることもしばしばあり、仕舞いには、シンボルの暗号を自分で解いて、結論を出していくビジネスマンさえいるくらいですから、当時の人たちには、ルノルマンのエッセンスがそのまま伝わっていて、模倣の極意が、後のカードになったのではないかと思えてきます。

 

 パリはサンジェルマン地区のトルノン通りにある、ルノルマンの住んでいたアパルトマンには、有名な政治家や詩人も住んでいたらしく、アパルトマンの壁に、名前が書いたプレートがかかっていますが、マリーアン アデレイド ルノルマンの名前はありません。

 現在そのアパルトマンの下に化粧品やを構えている人物に、「なぜ、ルノルマンの名前がないのか?」と聞くと「彼女は魔女とされているからだ。」

という答えが返って来ました。

 

 なるほど、その脅威の透視力を恐れたナポレオンに投獄されてしまったというマドモアゼル ルノルマンは、現代でも、そんな扱いを受けているところをみると、相当な反意識が背後にあるのだろうと思われます。

 それは、反オカルトとしての宗教、特にフランスのカトリックがその役割をしているのでしょうか?

ルノルマンの経歴を見ると、確かに、修道院長に嫌われて保護者が呼び出しを受けるといったものがあり、セーヌ川の畔に魔法陣を描いたことが原因で警察にしょっ引かれたといった逸話もあるにはあるのですが、ナポレオンを代表とする「ルノルマン投獄の理由」は、彼女が邪魔だからという理由でした。

 また、その意識とは何かを探る時、エッティラからライダーウェイト版にいたるタロットカードの歴史や、レヴィ、ジョン ディー、アレスタークローリーなどの、ルノルマン以降の魔術師たちの時代の狭間で、なぜ、その存在に対する敬意が失われて行ったを見ると、当時のオカルティストたちに見られる男性優位の考え方が見えてきます。

 欧州で女性が自分の権利を叫び始めたのは、18世紀からで、それでもすぐに女性の人権が守られるということはなかったので、優秀で活躍した女性として歴史に名を遺したのは、時の強力な裏方、マドモアゼル ルノルマンなどではなく、啓示を受けたジャンヌ ダルクや、美貌のレカミエ夫人、テルミドールの女神と呼ばれたタリアン夫人などのように、女神の化身として扱える人ばかりだったように思います。

 後に、ココ シャネルが現れて、働きやすいようにスカートを短くし、腕を上にあげやすいジャージのスーツを作るまで、自分の能力と力で働き、財をなした女性が脚光を浴びることなどなかったのではないかと思うのです。

 私は、フランス史の専門家ではないので、一般的に認識されている角度から「女性」の地位をみて、このような理解をしています。

 

 女性と女神として崇拝する背後で魔術や魔法の世界での女性蔑視は、根強いものがあり、そんな中でルノルマンは「後出しじゃんけんのような占い師」とされてきましたが、実際にルノルマンカードを使って事象をみていくと、カードに事象は出ていても、どんな結果になるかは、すべて結果が出たあとにしか検証できないので、「後出しじゃんけん」にしかならないのです。

 

 わかりやすく言えば、カードに出たことを予言として警告するのは「それが起こらないようにするのが目的」で、「それを起こすことが目的」ではないのです。それが起こらないようにと願う本人の意思の発動を促し、よりよい未来の現実をイメージする方向に向くことでより良い未来がやってくるように促すのが、目的なのです。

 警告や忠告を受けても、本人が未来を変えようとしなければ、それは起こる可能性が高くなります。

マラー、サン ジャス、ロべスピエールの3人がルノルマンから「死」の警告を受けても、「革命のために生命を落とすのが我々の本懐」と笑い飛ばした末、マラーは事故で命を落とし、後の2人は断頭台に散るという憂き目にあいました。

 また、「離婚すれば失墜する」と、警告されたナポレオンは、離婚が成立するまでの2週間、ルノルマンを投獄し、彼女の言葉が未来に影響を与えないように封印してしまいましたが、結果的に、ジョセフィーヌと離婚した後のナポレオンは、皇帝の座から落ち、島流しとなり最後を迎えることになってしまいました。

 予言が「流言飛語」となり、多くの人の意識上に反映させると、事象と時象が角度を変えていくという性質を利用したり、その警告を聞いた本人が、自分が本当に求めている現実を明らかにするという努力で警告されたことを回避することは、いくらでもできます。

個人や社会の暗黙知を常に意識上に上がらせるという思考の習慣をつけていけば、「思いがけないこと」の数は少なくなっていくはずです。

 

現代では、そのような事象や時象の変化を「タイムラインが変わった」と表現されはじめています。

時間軸上にある意識の角度を変えるだけで、現実が変わり、異なる角度である異なるタイムラインに入る、ということを多次元宇宙(マルチバース)という感覚で捉えられる人たちが増えてきていますが、カードリーディングの神髄は、まさにその「タイムライン」を変えるとことにあるのです。

 

 運勢や運命という時間を一直線上にとらえた「固定観念」をもっていた時代から、「時間は意識と連動して可塑的なものなので、運命は変えられる」ということを「感覚」のひとつとする時代へと移行している今、占いの目的は「どうなるか?」とみるのではなく「どう変化させたいか?どう創造したいか?」という、錬金術へと変わっていると思われます。

 

 そういった意味でルノルマンカードの威力は、たとえ誰が「後出しじゃんけん」だと言っても、ルノルマンカードをリーディングする多くの人たちの物言わぬ「検証」とマッチしており、「後出しじゃんけんになるかもしれないけど、カードにはこう出ていた。」という会話が、リーディングをする人たちの間で、飛び交っているのは真実なのです。

 

 

 さて、なかなかグランタブローの話に行きつきませんが、実際に「希望のゲーム」と呼ばれた「双六」を興じてみると、解説書に書かれているカードの並べ方は、実は反対なのではないかという思いに行きあたるところを糸口として、ルノルマンのグランタブローに至ろうと思います。

 

 6×6は、占い用の並べ方で、双六は8×4+4の並べ方ではないかと・・・。

 

なぜなら、数の神秘に精通していたルノルマンが1から36の数を6×6の数表に表した際、縦も列も、横の列も、斜めの列も111になるという数秘術を度外視するはずはないと考えるからです。

 

 パリという都に上って、義理の父親のところで働いていた時に、最初に彼女に声をかけた人は、マドモアゼルの計算の能力の高さに目をつけて、数秘術を伝えるところから始まったのですから、111×6が666になるソロモンの数表を度外視するはずがないと考えるからです。

 

 かつて、ピタゴラスの時代には、彼の秘密結社の中で扱われていた数字の秘密について口外した者は、死刑になったと言われています。

数字とは、それほどまでに、すごい威力をもつ秘密なのです。

 そして、その数字が金銭の力となり、フランス革命という「見た目の革命」を起こして、実のところは、世界をお金という数字で支配しようとしたロスチャイルドと、その背後で彼らを操ったフリーメイソンやハプスブルグ家などの勢力が、今やグローバリズムとなり、小麦の遺伝子や牛肉の遺伝子、はたまた核産業にまで多大な影響を与えているのです。

 

 そんな世界の始まりにフランス革命があり、そこで個人が生き抜くためのガイダンスを与えてきたマドモアゼル ルノルマンが、今この時代に生きていたら、どんなに驚くでしょう?あるいは、やっぱり、そういうことになったのねと、驚きもせず、坦々とリーディングにいそしむでしょうか?

 

 さて、そして、つまり、マドモアゼル ルノルマンの業績は、焼かれてしまった書類の中のメモ書きとして消えてしまったわけですから、そこにフォーカスしてもしかたがありません。

666の数表の上に、ソロモンの時代からの知恵をもとにした並びを置いて、真実の姿を露わにする現代の魔法ともいえる「量子物理学的なリープやワープ」を意識の世界の中に立ち上がらせ、狐や蛇、鍵や棺の中を紳士や淑女がバーチャルリアリティとなって立ち回る3Dならぬ、5D(5次元)世界を展開しながら、1枚のカードのフラクタリティが展開し、織りなすシンクロニシティの世界を楽しもうではありませんか。

 

 それこそが、意識が創造する独自の現実なのです。

 決して、狂気の沙汰ではなく、魔法と呼ばれたり、奇跡と呼ばれた「現実にはあるはずのないこと」を現実としてしまう創造力ではないでしょうか?

 

ただし、悪用するのではなく、美しく調和のとれた世界を作るために、あえてそれを善用と呼ばすとも、創造の源の力がほとばしるかのように

大きな絵(フランス語でグランタブロー)としてのビジョンを、あなたと、あなたの大切な人たちすべてのために描くことを。

 

 マドモアゼル ルノルマンは、パリの空から思い描いているのではないでしょうか。

 

 

                        ~歴史の中に埋もれたパリの天才女性占い師マドモアゼル ルノルマンの力が甦る現代に~