グノーシス

 

グノーシスという言葉は「知識」という意味を持ち、主に地中海地方を中心としてその勢力を拡大しながらキリスト教を脅かすほどの広がりを見せていた。

 

グノーシス主義は神の存在を否定しているわけでは無いのだが、キリスト教における神の位置づけとグノーシス主義における神の位置づけは少し異なっている。

 

グノーシス主義において神とは宇宙のはるか彼方に存在している存在で、人間とはほとんど接点が無い。またキリスト教において地球を創世した神とされている存在は、真の神が生み出した堕天使ソフィアの子である下級の神に過ぎず、堕天使が生み出したこの世界こそが地獄であり同時に人間の肉体も魂の牢獄であるという。

そして魂が地獄から抜け出して真の神のいる場所へと向かうには壁に囲まれた7つの天(地獄)を通る必要があるとされた。

 

7つの天とは地球を囲む太陽系の惑星を意味し(当時の天体観測技術の観点から後付という説が有力)、それぞれに7つの大罪を当てはめている。

 

太陽(強欲)・水星(虚偽)・金星(浴場)・月(嫉妬)・火星(憤怒)・木星(傲慢)・土星(怠慢)、これらの星にはそれぞれ支配者(アルコーン)が存在して神の領域へ向かう魂を妨害する。そしてこのアルコーン達の正体はキリスト教世界の天使であると考えられ、アルコーンの妨害を打ち破るためには真の神が示したグノーシス(知識)が必要とされたのだ。

世界の創造神を堕天使(悪魔)としその上に真の神の存在を置いているグノーシス主義はキリスト教の一部に浸透して、グノーシス派と呼ばれる一大勢力を築き上げた。

 

仮に現在グノーシス派が存在すれば非常に興味深い集団としての地位を確立していたかもしれない。

 

 

 フリーメーソンには、グノーシス派の影響、神秘主義に彩られた儀式、

薔薇

 

 ロザリオは「バラ」崇拝を表す道具であり、「バラ」は古代ローマでは「ウェヌス〔ヴィーナス〕の花」として知られウェヌス〔ヴィーナス〕に仕える聖娼たちのしるしであった[1]。「バラのもとで」 (sub rosa)語られる秘密は、ウェヌス〔ヴィーナス〕の性の秘儀にとって欠くことのできない要素であって、非入信者に明かすことは許されなかった[2]。赤いバラは満開の母親の性を表し、白いバラあるいはユリは処女女神のしるしであった。キリスト教徒はこれらの象徴的な花をともにそのまま聖母マリアに結びつけ、彼女を「聖なるバラ」と呼んだ。

 

 ゴシック様式の大聖堂に見られるバラ窓は、母権制社会の楽園があるという西方に面しており、本来は、東方の後陣にある男性の象徴の十字架に相対する女性の象徴として、マリアに捧げられたものであった。シャルトル大聖堂の「フランスのバラ」と呼ばれる窓は、「その中心に玉座についたマリアを置き……マリアの周囲に輸をなして12の円形意匠が見られる。円形意匠の4つにはハト、 4つには6枚の翼を持つ天使たち(座天使)、 4つにはより下級の天使が描かれているが、これらはすべて『天界の女王』の資質と天稟を象徴している」。「フランスのバラ」の下方には、マリアの数と同じ5つの窓があり、その中央には、「教会の中で最も高く最も威厳があり、最も主要な像」、聖母マリアの母アンナが置かれている[3]。

 

 5はマリアの数であった。バラの花弁の数であり、またもう1つの処女性の象徴であるリンゴの花の花弁も5枚だからである。リンゴの花は、処女性と対応する母性、結実、再生、そして永遠なる生の象徴であるリンゴの実を結ぴ、その実の中に5枚の肺葉(芯)を作り出す。「バラ-マリア」は「リンゴ-イヴ」の再生とされたため、 5は「聖母マリア崇拝にふさわしい」数と考えられた。キリスト教の宗教画には、聖母マリアの処女性を表す「閉じた園」の「生命の木」に、リンゴとバラが一緒に描かれた。

 

 5枚の花弁を持つバラとリンゴは、前キリスト教時代の女神を表す多数のイメージと関連があった。すなわち魔女の五芒星形、 5つの切先を持つイシュタルの星、エジプ卜の子宮-冥界と輪廻再生のシンボルなどである。詩人ノーシスによれば、「バラの秘儀」はアプロディーテーに捧げられた秘儀であり、「キュプロス人は、アプロディーテーのバラがどういう花なのか知っている者しか愛さない」という。アプロディーテーは「海の露」rosmarinaと名づけられたローズマリー (バラ-マリア)の木によって表された[4]。

 

 大聖堂の建設が相次いで行われた注目すべき時代(12-3世紀)に、聖母マリアは、当時建設された「天界の女王の宮殿」すなわちノートル・ダム大聖堂において、女神として崇拝された。彼女はしばしば「バラ」、「バラの蕾」、「バラの花飾り」、「バラの園」、「バラの花輪」、「神秘のバラ」あるいは「最も聖なるバラの園の女王」として呼びかけられた[5]。教会と花園とマリアの身体はすべて神秘的に同ーのものであった。マリアは「再生の汚れなき子宮」であるとともに、教会(Lady Ecclesia)であったからである。異教徒の神殿と同様、ゴシック様式の大聖堂は女神の身体を表した。女神の身体はまた、自らの内部に、男性の神性の本質を内包する字宙でもあった。このことはゴシック時代が過ぎ去ると、ほとんど忘れ去られた。のちの時代には「ゴシック」は侮蔑的な形容辞となり、「野蛮」と同義語となった。「天国の女王の宮殿」の象徴はもはや理解されなかった。 18世紀頃にはその隠された意味は、インドの神殿の秘められた性愛の技術と同じように、きわめて暖昧なものとなっていた[6]。

 

 事実、「太女神」に最初に「聖なるバラ」と呼びかけたのはインドであり、太女神の身体そのものが神殿と考えられていた[7]。緋色の中国のバラは「女神の花」といわれた[8]。これはときには、初潮を迎えた少女が体内に咲かせるという、ヒンズー教の神秘的な「クラの花」と同一視された。「クラの花」は処女の経血の源であり、未来の子供の生命を表し、また氏族の過去の母性霊と彼女との結合の緋を表すものであった[9]。

 

 東方の「世界樹」は、一家を表すバラの木、生命と不死の女性の木であると想像された。中央アジアでは、この木は「女性」、「源泉」、「ミルク」、「動物たち」、「果実」と呼ばれた。「宇宙樹はつねにそれ自体が、生命の貯臓所であり、運命の支配者であることを示している」。蒙古人は、根がスメール山の基盤にまで達しているこの木を、ザンプという名で知っていて、その果実が神々を養う「母親-木」であると言う[10]。ザンプは疑いもなく、宇宙の「バラ-リンゴ樹」の原産地である「ヒンズーの楽園」ジャンプ島と同じものであった。島は女陰の形をしていた。その「ダイヤモンドの座」(クリトリスの象徴)において、人は鋭敏な知性を持った人間として生まれ代わることができた[11]。

 

 ユダヤ-キリスト教の伝承はこの祖先の木を、男性の「生命の木」(生殖器)と結びつけ、男性の家系を唯一の重要な血縁とみなした。キリストの系譜は中世芸術では、横たわったエッサイ(ダビデの父)の腰から生えている男根の木として描かれ、木にはダビデ、マリア、イエスの姿を囲んで花や実がついていた。しかし、秘教では大体において、女性をバラの木、バラの園、バラの花輪などに当てはめ、これらが生殖器の象徴であることを十分に認めていた。『ルカによる福音書』は「聖なるバラ」を女陰のしるしとして示している、と中世の学者ピエール・コルは述べている[12]。

 

 英国には「バラ」として知られる伝統的な「仮面ダンス」があった。 5人の踊り手が、道化と呼ばれる犠牲者の上に5本の刀で五芒星形を作る。道化は象徴的に殺され、神秘的なエリキサ(「黄金の霜の滴」あるいは「バラの花にたまった露の滴」)によって復活した。これはまさに、「ハスの花の中の宝石」(すなわち女性である花に落ちた精液の滴)の西欧における変形であった。「聖なる花」が女陰を意味するように、「花園」は子宮を象徴すると言われた。「霜の滴」(露)は、女神の中で自ら再生する神の精液を意味した。聖書は、露は精液の詩的な同義語である、と言っている(『雅歌』 5: 2)。

 

 マイスター・エックハルトは、露とバラの性的な意味を十分によく理解して、次のように記している。「朝バラの花が開いて天と太陽から露を受け入れるように、マリアの霊魂は開き、天の露であるキリストを受け入れる」[13]。

 

 「バラ」と呼ばれたダンスは、大変活力に満ちた異教徒の祭式であったために、これを制圧することはできなかったように思われる。伴奏の歌は、「バラの花輪の周りの輪」(ドイツ語でRingel Ringel Rosen-kranz、英語で Ring-Around-A-Rosy)と呼ばれた[14]。童謡の「花で一杯のポケット」はたぶん、冥界の「妖精の国」の古いシンボルである花の洞穴と関連があると思われる。童謡の最後にある「みんな倒れて」という指示は、豊穣の季節に終りをもたらす「死の神モーガン」、あるいは「死母神」の命令であった。デンマーク人の民間風習では、バラは夏至の前夜祭のダンスのときに、聖なる木立に飾られた。夏至のダンスは侵入者に備えて、武装した男たちに護られて行われることになっていた。

 

夏至の夜に芝生の上で、

騎士と郷土が護りについた。

木立の中で、踊る足もと颯爽と、

たいまっと赤いバラの花輪を手に持って。[15]

 バラはマリアに見立てられただけでなく、異教の女神が生き残った姿とも考えられた。スぺンサーの『妖精女王』のように、女神は彼女の性の本質を意味する「祝福の小部屋」を持っており、その小部屋の聖なるものの中で最も聖なるものは、「愛のバラ」であった[16]。「女神ブライアー・ローズ」という中世の神話は、処女をイバラの薮の中のバラとして描いている。このイメージは、詩人セデュリウスが古い昔に用いた性的なイメージであった。

 

「茂みの栄光にして、王冠なる愛らしきバラの

自らはとげを持たねど、とげの間より咲き出でしごとくに、

イプの根より萌え出でし新しき乙女マリアは、

古き昔の最初の乙女の罪をあがなえり」。[17]

 バラは絶えず聖母マリアにたとえられてきたとはいえ、明らかに、十字軍の帰還に伴ってアラビアからヨーロッパに持ち婦られた女神崇拝の性的なシンボルであった[18]。アラビアのスーフイー教徒の神秘主義者は、ロザリオとバラを中心とする浪漫的で宗教的な作品を奮いた。ファラド-ウディン・アタールの『鳥の議会』 Parliament of the Birdsは「情熱的なサヨナキドリ」の言葉で、このシンボルを説明している。

 

「私は愛の秘密を知っている。夜を通して私は愛の呼びかけをする。……バラの花を動かし、恋人たちの心を動かすのはこの私なのだ。……バラが夏再び咲き匂うとき、私の心は開き喜びに震える。私の秘密はみんなにはわからないが、バラだけはそれを知っている。私はバラのこと以外何も考えない。ルビーのようなバラ以外のものは何も欲しくない。……サヨナキドリが愛する者と離れて、一夜たりと過ごすことができょうか?」。[19]

 この愛の神のサヨナキドリは「バラの精」、あるいは17世紀にはロジェと名づけられた悪魔として、ヨーロッパの恋愛物語の中に、再度現れる。祓魔師のセバスティアン・ミカエリス教父によれば、悪魔のロジェは人々に甘い言葉を囁いて、恋に陥るように仕向けた。ロジェと天国で敵対するのが聖バシリウスであり、彼は「愛に満ちた魅惑的な言葉に耳を傾けようとしなかった」[20]。さらにのちになると、同じ悪魔が古典バレエ「バラの精」 Le Spectre de la Roseの主人公となり、若い娘を誘惑して恋に陥らせる。

 

 ときには男の「バラの精」は、「突き刺す」とげを持つブライアー・ローズとして示された。「肉体を突き刺して人工的に血を得ること、それが男が血を『作る』唯一の方法であった。ヨーロッパの異性愛の恋人たちに関する恋愛伝説では、女性の赤いバラは男性のイバラ(ブライアー、すなわち突き刺すものprick)と対になっている。prickは俗語として用いられたときはペニスを指すタブー語であり、力への接近を意味する即物的な呪術用語である。……ブライアーは男性のバラである」[21]。

 

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/rose.html

現代のフリーメーソンカードとしてのルノルマンカード

イルミナティカードとの連携?イルみなティカードもゲーム用だとされている。

 

 http://www.geocities.jp/dreamusic7/