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マドモアゼル ルノルマンの出生は?

 

 

マドモアゼル ルノルマン=マリーアン アデレイド ルノルマンの出生地を訪れて来ました。

 

 パリは、スカイスクレーパーがそびえるモンパルナスから電車で2時間ほどのところに、マドモアゼル ルノルマンが生まれたAlenconの町があります。アルファベットを見ると、習慣で英語読みをしてしまう私は、Alenconを「アレンコン」と発音してしまうために、ホテルでも駅でも、行き方を訊ねるのに、少々、難儀しました。

 

 現地の人たちの発音では、「アランソン」とか「アロンソン」と聞こえるので、なんとか、マネをして行先を告げ、電車のチケットを買うことができたわけですが、パリから出てしまうと、更に英語が通じなくなってしまうことを危惧する要因が、すでにここにありました。

 

 Alencon行きの電車は、1日に数本しかないだけでなく、耐久レースで有名なル・マンで乗り換えなければなりません。

しかも、乗り換える電車がすぐに来るわけではないので、ル・マンでは一度、駅の構内から外に出て、コーヒーを飲みながら電車を待つことになりました。

 

 Alenconに向かう電車が来て、乗り込み、ルノルマンの故郷はどんなところだろう?と、少々、胸の高鳴りを感じながら車窓から外を眺めていくと

雨を降らせていた雲が、風に吹かれて速足で流れては、青空を垣間見せはじめました。

 

 時間旅行の中に入ると、いつもそうです。雲の流れが速くなり、まるでタイムマシーンで過去へと下って行くような感覚に陥ります。

 

 ル・マンを出たあとは、どこまでも続く牧草地と畑、また畑が続き、時折、森が出現しては、また牧草地に牛たちという景色が続きました。

ルノルマンがパリに出てきた道は、どこなのかなと思いながらも、電車だから2時間ほどで着くけれど、これが馬車なら何日かかかるのだろうなと思いながら、それでも、平坦な平野は移動しやすいだろうと考えながら、気持ちは、ルノルマンの時代へとどんどん下って行きました。

 

 


Alenconの駅にようやく電車が到着し、駅に降りると、看板に小さな地図が出ていて、マドモアゼルが洗礼を受けたレオナールの教会への道は、それほど難しくないことが分かって少しほっとしました。

でも、帰りの電車を逃すと、今日中にパリに帰れなくなってしまうので、教会を訪れ、ツーリストガイドに立ち寄るには、1時間半ほどの時間は、ギリギリではないかと、少し、焦りながら早歩きに歩きはじめました。

 

すると、一番、歓迎しない雨が降り始め、雨の中をそれでも足早にレオナールに向かって歩いていくのですが、曲がる道がわからなくなり、仕方なく、道端でおしゃべりをしていた数人の女性に道を聞くはめになってしまいました。

パリから、離れると、英語が通じない・・・。そんな思いが持ち上がってきて、

仕方なく、知っている言葉をつなげて「パルドン。 オングレ?」と話しかけてみると、おしゃべりをしていた一人が

「イエス、私、英語が話せます。」と、取り合ってくれ、レオナールの教会に行きたいと告げると、「口で説明するのは難しいから、私が連れて行ってあげるので、あとをついて来て。」と、更に強くなった雨足の中を、ぐんぐんと歩いて先導してくれました。

私たちは、うっかり傘を持っていなかったのですが、びしょびしょになりながらも、見ず知らずの私を教会まで連れていってくれるなんて・・・。きっと、ルノルマンが天国から采配を振るってこの人をよこしてくれたに違いない!

 

そう、思ってしまうほど、親切な彼女は、教会の手前の交差点でくるっと私のほうを向くと

「ここだと思います。ここしかないからレオナールの教会って。」と、ニコやかに笑って、立ち去ろうとしました。

 

 

 

 丁寧にお礼を述べたついでに、「マドモアゼル ルノルマンというフォーチュンテラーを知っていますか?」と聞くと、彼女は「私は、最近ここに引っ越して来たので、知らない。町のど真ん中に引っ越して来て住んでいるの。良いところよ、ここ。じゃ。」

 

 彼女がルノルマンのことを知らなかったので、少しがっかりしたものの、本当に親切な人に出会ってよかったと思いながら、もう一度お礼を述べて、教会の扉まで歩いていくと、雨はやみ、雲は晴れて来ました。

 

 教会はすでに閉まっていて、中には入ることができませんでしたが、外からうかがうに、ステンドグラスが、美しい、すっきりした教会だという感じを受け、ぐるりと教会のまわりをまわってみると、ノートルダム寺院にあるような、魔よけのためのガーゴイルが、壁からにょきっと突き出しているのを見つけました。

 教会の魔よけは、どれも、どこか剽軽(ひょうきん)で、怖がる人などいるのでしょうか?

 

ガーゴイルの姿になごみながらも、私が生きた時代から100数十年もたったあと、誰かが私の出生地の産土神社を訪れてくれたら、しかも、それが外国からだったとしたら、私の魂はどんな嬉しさを感じるだろう・・・と、マドモアゼルを自分になぞらえて感じてみると、生まれたてのマドモアゼルが、おくるみに包まれて、お産婆さんに抱かれてこの教会にやってきた日の足音が、まるで聞こえてくるような気持になってしまいました。

 

そんな想像が広がると、私は、もう映画の世界の中に入ったかのような気分になってしまうのでした。

 

 ちなみに、この地方では、洗礼は生まれた日がその翌日に、お産婆さんが地元の教会に連れていくことが習わしとのことなので、洗礼の日はわかっていても謎とされていたマドモアゼルの誕生日は、1772年の5月27日か前日の26日だということもはっきりしました。

 マドモアゼルは、ふたご座生まれの女の子だったのです。

 

 

 

 


 レオナールの教会のそばには、教会のスクールがまだ古い形で残っていたり、教会の前の建物も、えらく古かったりと、Alenconの町は、イギリスでいえばチェスターやオックスフォードのような、古き良き時代の郷愁をたたえているところからして、この道も、そこの曲がり角も、マドモアゼルが歩いたことのある道だろうと思われ、不思議な時間の中にしばし佇んでしまいました。

 

 教会の写真を撮影し、駅に向かってあてずっぽうで歩き始めると、カテドラルが見えて来ました。

 カテドラルの鐘が鳴り響きはじめ、あと1時間ほどしか時間がないことがわかり、ツーリストガイドを探してきょろきょろしていると、数人のグループが小さな庭園のほうから出てきたのが見えたので、直感的にその庭に向かうと、庭園だと思っていたところは、実はツーリストガイドだったことがわかり、ラッキーとばかりに、中に吸い込まれるように入ってみました。

 

 受付の女性と話し込んでいる人が一人。その女性の後ろに立って、しばらく待つ間、町の歴史の本などがないかと見渡してみるのですが、フランス語で書かれたものばかりで、まったくお手上げです。

 順番が来て、先ほど案内してくれた人に聞いたときと同じように、英語で話せるかと聞くと、受付の女性は流ちょうな英語で受け答えしてくれたので、ほっとしてマドモアゼル ルノルマンのことが知りたいと話してみました。

 「ああ、マドモアゼル ルノルマン。フォーチュンテラーのことね。あいにく、彼女のことが書かれたものは、いま、ここにないの。」と、悪びれた表情で言った直後、「あ!待って!あるわ。ここにある!しかも英語で書かれているガイドブックが!」と、小さく叫びながら、カウンターから出て、数種類の縦長のブロッシャーが差し込まれているところへ行って、一冊のブロッシャーを取り上げました。

 

 

 

 

 手早くページをめくると「ほら、ここ。」と、マドモアゼルのことが書かれたページを開けて声に出して英文を読んでくれ、「これ、今、一つしかないけれど、持って行って。」と、手渡してくれました。

 

 「メルシー」と何度も頭を下げながらお礼を言って、駅へと向かうと、そんなに焦ることもないほど、まだ時間があったなと気づき、苦笑する始末。

 しかし、ツーリストガイドはすでに閉まる時間だったので、駅のホームに繋がる歩道橋の上から、はるかかなたに見える山を眺めて、ああ、ここはノルマンディーだったのかと、やっと思った次第です。

 

 あの山の向こうをずっと行くと海があって、その向こうはイギリス軍がノルマンディー上陸作戦を行った場所だろうなあと、これまた、異なる時代に思いを馳せながら、また、激しく降り始めた雨から逃れるために、山とは反対側、ル・マンへと向かうホームへと走りこむことにしました。

 

 ほどなくしてやってきた電車に乗り込み、もらったブロッシャーのルノルマンのページを読み始めると、やはり、足で取材しなければわからないことが書かれていました。

 


 

これがそのブロッシャーです。たった数行ですが、

 今まで、触れてきたルノルマン関連の文献のどこにも書かれていなかったことが書かれていました。

 

 それは、ルノルマンは実は長女ではなく、次女だったということでした。

 

 最初の子供が亡くなってしまったとき、二番目の同じ性の子供に最初の子供の名前をつけるべきだという迷信に従い、マドモアゼルは、先に生まれたお姉さんの名前「マリーアン」をもらい、母親のアデレードがミドルネームとなって、マリーアン アデレード ルノルマンという名前になったということ。

 

 なるほど、マドモアゼルが、「あちらの世界」と「こちらの世界」をまたぐ能力をもっていたのは、この名前のせいかもしれない・・・。

私の古い友人で、双子の片割れを亡くした作家が「あっちの世界から、なんとなく情報が送られてくる。それを作品にしているだけなんだ。」と、言っていたことを思い出し、迷信は、単に戯言ではなく、人の知恵がそこには込められているのだろうという確信にも似た思いを感じました。

 また、ルノルマンは、東洋のプリンセスのリーディングもしたことがあるということも書かれており、それが極東なら、どんなに面白いかと想像がふくらんでしまいました。

 

 逝去したのは、やはり、パリでのことらしく、フランス人のジャーナリストの書いた本には、老後はAlenconで静かに暮らしたと書かれていましたが、マドモアゼルは、パリ郊外のポワシーにもシャトーを持っていたらしいので、もしかしたら、パリ郊外で静かに暮らしながら執筆や特定の人のリーディングなどをしていたのではないか、と憶測できるかと思いました。

 

Alencon

信心深い人たちが住む、砦に囲まれた町。

遥か彼方に、山が連なって見える町。

 

 

 

 マドモアゼル ルノルマンは、そんな町に生まれて、いつか、町を抜け出すことを夢見ていたに違いない・・・と、パリという都の喧騒の中に帰った私は、これもまた、確信に近い思いを抱きました。

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